結局のところ「仕事ができる」ってなんだろうか

立川君、仕事できるねぇ。なんて言われることは多々ある。これってたいていお世辞だったり、何かのおぜん立てだったりするんだろうけど、まぁ一応誉め言葉だと思ってた。「いやぁ、それほどでも~」なんて頭かいて照れちゃってってやってたんだけど、最近考えを改めた。仕事において「仕事ができる」やつになるのは損だし誉め言葉でもなんでもない。

そもそも仕事ができるってなんのことだろう。資料のまとめが早いとか適格とか、報連相が素早いとか、まぁいろいろあるけど、端的に言ってしまえば「相手の要求を上回る成果物をリターンすること」だと思う。相手が1を求めることに1で返さずに、2や3で返す。マーケティング信者の皆様が大好きで病まない付加価値ってやつ。そんでその返し方っていうのが主に2パターンあると思う。

①供給量増大による付加価値(矢印の多さ)

会議に出席したら、頼まれてもいないのに議事録作成して出席者全員に送っておくとか、次回の打ち合わせまでの課題をリマインドしたり、スケジュール調整して、会場をおさえたりとかっていう「あれもこれもやっちゃいました」パターン。1言われたら10のことやっておくタイプの人間。

geralt / Pixabay

②供給スピード短縮による付加価値(矢印の短さ)

企画のアイデア出しの打ち合わせに既にゴリゴリの企画書を配って発表しちゃうとか、来週までにまとめあげる資料を1日2日で終わらせて報告しちゃうとかっていう「もうやっておきました」パターン。1言われる前に1をやっておくタイプの人間。

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この2パターンのどちらか、もしくは両方をやる人間が周りから「仕事ができる」と評されることになると思う。これを勝手に「矢印の多さと短さ」って言ってるんだけど、なんか言い換えるとそれっぽく聞こえるでしょ?

冒頭に戻ろう。仕事ができるって評価を受けるのって本当に良いことだろうか。確かにこのタイプの人間にも承認欲求くらいあるだろう。認められるためにやって「仕事できるねぇ」なんて褒められたら悪い気はしない。でもさ、それだけじゃない?褒められて承認欲求を満たされる以外のメリットってある?よく考えてみて。これって周りの人間の方にしかメリットが無くないですか?

周りの人間から見た「仕事ができる人」

上司編

例えばあなたが上司で仕事ができる人が部下だとしよう。

上司「来週までの打ち合わせ資料を作ってほしいんだけど」

仕事できる人「もうできてます。こちらご確認ください」

これ、めっちゃ楽じゃない?別に上司が教育したわけでもなんでもないけど、すでに前の打ち合わせとかで資料を作ることを察して作業やってんの。上司からしたら幸せ~ってなるよ。ポイントは別に上司が指導した結果そうなったわけじゃなくて、もともと仕事ができる人だっただけってこと。上司にとってはもうただただ運がいいよね。本来部下のスケジュールをマネジメントしてタスクを入れておくのが上司のタスクなのに、そのタスクをしなくても勝手に処理していってくれる。言ってしまえば仕事ができる部下=自分がサボれるに繋がる。

同僚編

例えばあなたの同僚に仕事ができる人がいたとしよう。

上司「じゃあ、この【めちゃんこハードル高い挑戦しがいのあるタスク】をやってみたい人いる?」

仕事のできる同僚「僕がやりますし、すでに計画を立ててきました。プランがこちらです」

同僚「じゃあそれをサポートします!」

同僚に仕事ができるやつがいればこんな風に乗っかれるんですわ。良いポジション。メインの責任きっついところは仕事できる同僚に押し付けて、サポートとかいう何も考えないで指示待つだけの雑用係になるだけで「ビッグなプロジェクトに携わってる俺」を見事演じることができる。そのプロジェクト終わったら我が物顔で「いやぁ、あんときは大変だった」とか言って後輩に自慢もできるし一石二鳥だ。常にそういったサポートポジションを狙っていけば「仕事のできる同僚の相棒」ポジションという自身の実力とはかけ離れた異名を授かることも夢ではない。

部下編

例えば上司が仕事ができる人であなたが部下だったとしよう。

上司「これをやっておいて。初めてでわからないと思うからマニュアル作っといたから。これの手順通りにやって」
部下「はい。わかりました」

うん。楽だ。無茶ぶりしてくる上司とか丸投げしてくる上司とかいるけど、こんな風に道筋を1から10まで立ててくれる。さすが仕事のできる上司っすわ。部下の能力も把握してるから能力以上のことを要求しない。向上心が無ければチャレンジもさせないし、適度に働くことができる。最高だ。

つまることろ

どんな立場においても仕事のできる人が身近にいればメリットは多分にある。じゃあ逆に仕事ができる人のメリットって何なの?

仕事ができる人が仕事をこなすメリット

承認欲求が満たされる

よっ!色男!とか、仕事できるねぇ!とか、仕事の早いやつは違うねぇ!とか手を変え品を変え周りの人間は褒めてきます。チヤホヤされたい人は嬉しいでしょう。

出世できる

中小企業であればサクサクっと上の方に行けるでしょう。

いろんなスキルが身につく

1求められて10のことやっているうちにたぶん色んな幅広いスキルが身につくでしょう。

あれ?これってメリット?

周りの人間から見た「仕事ができる人」ってのは「仕事ができる人」ありきだった。仕事ができる人がいるから楽ができたり、出世ができたり、適度に働けたりというメリットを享受することができる。でも仕事ができる人にとってのメリットって、別にその職場じゃなくても享受できるよね。

いやね、そもそもの話なんだけどさ、1の要求で10返せたり、1を要求する前に1を返せたりするっていう仕事のやり方はどうなのって話。確かに仕事できる人っていうのは相手の意図をくみ取ったり、先のことを読んで行動できたりするかもしれない。でもさ、それに甘えるような人間しか周りにいない職場ってどうなの?この職場に現れる「仕事のできる人」っていうのはつまるところ、仕事の意識レベルが周りに比べて高い人のことを指すと思うんだよね。

どういうことかって、仕事の意識レベルが同じであればお互いの仕事の要求レベルが合致すると思うの。「これやっといて」に含まれるタスクの量と、タスクを遂行する期日に差異が出ないでしょ。

上司「来週までの打ち合わせ資料ちょうだい」
部下「こちらです」
上司「この案件って隣の部署にも連携取っといた方がいいからちょっとアポとって」
部下「じゃあスケジュールのアキと会議室の予約見て調整しておきます」
上司「いま資料確認したけど、もっとアイデア膨らませときたいな。ちょっと赤字入れるわ」

スムーズ。ザ・スムーズ。流れがなめらか食感のフローズンスムージーですわ。例が適正かはわからないけど、仕事の意識レベルが同じだとバンバン進んでいく感じしない?この一緒に進めてる感。この一緒に進めてる感がないと仕事って楽しくないのよ。上に書いた例って絶対に楽しくないんだよね。片方がやってあげて、もう片方がやってもらってっていう一方通行。全然一緒に進めてる感がないの。

「仕事ができる」は「仕事の意識レベルが周りより高い」状態

「仕事ができる」は相対評価。しかも評価されているのは本当に仕事ができるかどうかではない。仕事の意識レベルが周りと比べて高いかどうか。本来この意識レベルの差があるのはよくない。周りに頼られるのって確かにうれしいし、自尊心満たされるかもしれない。でも言ってしまえばそれだけ。たださ、小学生グループに中学生で混ざって楽しいですかって話。中学生グループに大人が混ざってて楽しいですかって話。それよりは同じレベルのグループで切磋琢磨したほうがぜっっっったいに良いって。同じレベルだったらたぶん「仕事できるねぇ」なんて言われない。チヤホヤされないかもしれない。でも、そっちの方が絶対楽しいよ。

というわけで周りの人からの「仕事できる」評価は悪口だと思いましょう!
そんで環境をレベルアップしたほうがいいと思うよ!
こちらからは以上!