日曜日の夜。繁華街の一角で知人と飲んでいた時のこと。おいしい餃子をつまみに他愛の無い話をしていた。「人との群れ方って一度忘れちゃうともう思い出せないよね」とか「学生時代に戻れるならどうしたい?」とかそんな話。過去を振り返って「もしも」の話をしてしまうのは年を重ねている証拠なのか。28歳というのは若くもあり、もう若くもない。俺も知人もそんなオトシゴロだ。
会話もひと段落して、タバコをぷかぷか吸っていると、20代前半くらいの男女が来店した。店員に案内され、俺たちの隣のテーブルに座る。その2人のどことなく探り探りの会話、全体から醸し出す初々しい雰囲気。間違いない、このカップルは初デートだ。俺も知人も自然と隣の席に聞き耳をたてる。なんていうか、良いよね。恋愛初期における慎重な会話のキャッチボール。聞いてるこっちが何だかソワソワしちゃう。俺と知人は会話もそこそこにニヤニヤしながら手元のジョッキを口に運ぶ。これほど酒の進む肴は無い。
隣の会話は次第に仕事の話になった。彼女は事務職で彼氏がエンジニアらしい。彼女が性格の悪い上司の話や仕事のできない同期の話をしていると、彼氏がキメ顔でこう言った。
「コンビニは1日、営業は3日、プログラミングは3ヶ月、習得期間の長さによって仕事の価値って決まるよね」
静寂。
たまに時間が止まる呪文を唱えられる人に遭遇することがあるが、彼も間違いなくその類だ。少なくとも俺、知人、彼女の3人は頭の中に生まれたクエスチョンマークを捌ききれずにフリーズする。彼女は少し時間をおいてから「そう……ですね」なんて曖昧にあいづちを打っていた。いやいや、今のはツッコミ入れるところでしょ。
「なんでやねん!コンビニは業態、営業は職種、プログラミングは技能だから!『シャリ炊き3年、合わせ5年、握り一生』みたいなこと言いたかったの?だったら挙げた例も期間も適当過ぎるわ!」
心の中でビシッとツッコミを入れておいた。心の中だけね。2人は初デートだもの。隣の席からチャチャを入れたら可愛そうだし、そもそも声をかける社交性なんて持ち合わせていない。
酒が回ったのだろうか。彼氏は饒舌になり、そのあと俺たちが帰るまで彼は延々と仕事論を語っていて、彼女の方は終始苦笑いだった。慎重な会話のキャッチボールが突如として豪速球を投げるピッチャーとそれを受けとるキャッチャーの投球練習となった。
いるよねぇ、酔っぱらうと自分の考えを湯水のごとく垂れ流す人。
あぁ、このデートは失敗だろうな。心の中でそう思いながら会計を済ませ店を出た。
コンビニ1日、営業3日、プログラミングは3ヶ月、か。帰り道に彼のセリフを頭の中で反芻する。前半はさっきツッコミを入れたからいいんだけど。
『習得期間の長さによって仕事の価値って決まるよね』
この考えだと彼はそのうち『壁』にぶち当たるだろう。
俺は彼に伝えてあげれば良かっただろうか。
仕事の価値はカーストで決まるんだよ、って。
***
過去、IT系制作会社に勤めていたことがある。社員は20人程度の小さな会社で、部署は営業部、制作部、システム部の3部門。俺は制作部社員だった。前職は営業だったので全く異業種からの転職だ。他の人との経験の差を埋めるために時間を忘れて大量のタスクをこなす。1年も経てば十分な知識とスキルは身についていた。そりゃもう先輩社員なんて余裕で抜かせる勢い。その頃から会社のルール決めとか体制づくりの会議に参加するようになった。頑張って良かった。そのおかげで周りの人から頼られる。大事な会議にも出席できる。仕事楽しい!やっほう!完全に有頂天アンド天狗状態だった。
もちろん人生には山があれば谷もある。
それから数年後のことだ。部署異動の話が来た。異動先は生産性が悪いと評判のシステム部。その部署とは俺も何度か衝突したことがあるし、はじめは気乗りしない話だった。でも制作の知識だけじゃなく、システムまでできちゃったらヤバい人材になっちゃうんじゃない?スーパーサイヤ人がスーパーサイヤ人ゴットになっちゃうんじゃない?なんて考えてみた。俺は部署移動することを快諾した。
異動して半年ほど経てばだいたいの業務をこなせるようになった。昨日の敵は今日の友とはこのことで、制作部時代は衝突していたシステム部の人たちも、今では豊富な知識とスキルを持った頼もしい同僚たちだ。
ん?頼もしい同僚たち?
会社の中では「生産性が悪い」と評判だったはずだ。仕事を進めるためのスキルや知識が足りない?いや、彼らは十分な能力を持っている。仕事の進め方が悪い?いや、作業工数をきちんと管理しながら仕事を進めている。そんな彼らがなぜ「生産性が悪い」と言われているのか。これはコナン君にも解けない難事件の予感だ。
ある日、制作部から仕事の依頼が来た。制作部は嫌そうな顔をしながら「お客さんがこう言ってるから直しておいて」と言って、修正要望の資料を置いていく。同僚が嫌そうにそれを眺めると赤字の通りにプログラムを修正して制作部へ提出した。
翌日、「お客さんがこう言ってるから直しておいて」と制作部が依頼しに来た。昨日と同じ個所だ。あれ?時間巻き戻った?シュタインズゲートの扉開いちゃったのか?って思ったけど違った。お客さんが思っていたものと出来上がったものが違うと言っているらしい。
生産性を悪くしている正体見たり。
制作部が顧客の目的を明確にしないままシステム部へ依頼し、システム部は制作部から来た依頼から意図を読み取らずに実装する。完了後に顧客へ確認を取ると別の意見が伝えられ、制作部がその意見をそのままシステム部へ伝える。お分かりいただけるだろうか。無限ループだ。
そんなこんなでシステム部のタスクは想定以上の工数がかかり、数字だけで見ると「生産性が悪い」と判断されることになる。なんだ、こんな問題すぐ解決できるじゃん。俺ってサイヤ人だけじゃなくて名探偵にもなれるかも。人の可能性って無限大だ。やっほう。俺はウキウキ気分のまま会議で問題を提起した。
「システムの改修要望があった時の制作部とシステム部の役割を明確にしたいです」
「『システムの件はシステム部がやる』でしょ?お前らの作った製品の改修要望なんだから全部お前らがやるんじゃねぇの?」
「いえ、現状では要望の精査やヒアリングができてないんです。そうおっしゃるならシステムに関するやり取りはこちらでやっちゃってもいいですかね」
「窓口は一本化しないとダメでしょ。本当に前は制作部だったの?ただでさえ進捗遅れてんのに窓口までやらせたら余計遅れるに決まってんじゃん」
なんにも改善しないまま会議は終わった。なんて塩対応だ。これじゃサイヤ人どころか、はじまりの村の周辺で遭遇する雑魚スライムAだ。制作部時代にあった俺の発言権はいずこへ?そもそも意見するのが俺であろうとなかろうと、そんな対応するのはナンセンスでしょ。まず相手の意見を聞いて、吟味した上で考えを述べるのが議論ってもんだ。俺が制作部だったときはその辺ちゃんと……。
システム部が意見を出してきたときは、どんなふうに対応してたっけ。
えぇっと……ダメだ。思いだせない。
そもそも俺が気づいた問題ってドラッカーもびっくりな天才的アイデア?違う。業務フローなんて初歩も初歩。誰でも気付く。でも、不思議なことにどれだけ思いだそうとしてもシステム部が会議でそのことを言及していた記憶は無い。
もしかして……システム部が意見を「言っていない」じゃなくて、「覚えていない」だけ?
背筋が寒くなる。当時の俺がシステム部を「評判の悪い部署」として認識し、彼らを下に見ることで彼らの意見を右から左に流してた。同じことが今度は俺に起きているのではないか。
俺はこの時初めて部署間の見えない『壁』を意識するようになった。
どれだけシステム部が発言しようが、制作部の意見が尊重される。そして制作部の意見よりも営業部の意見が経営層には尊重される。発言だけではない。評価も同様の仕組みだ。この見えない『壁』……どこかで見た気がする。
あぁ、そうだ。スクールカーストだ。
学校という場所にはたいていカーストというものがある。スポーツができるとか、顔面が整っているとかで脚光を浴びる「イケてるグループ」、そいつらに従って地位を確立する「取りまきグループ」、地味でまったく目立たない「イケてないグループ」。以下、上から「1軍」「2軍」「3軍」としよう。
学生時代、俺は3軍だった。1軍たちがワイワイと学校生活をエンジョイしているのを傍目に教室の隅っこで練ケシを作って遊んでいる根暗な少年だった。でも3軍だからこそ気づけたこともある。それは学校行事のたびに教師が口にする「みんな」といった表現にくくられているのは1軍と2軍の人間のみ――俺たち3軍は含まれていない――ということだ。
文化祭の出しものを決める場面を例にしてみよう。
①1軍が案を出す。
②2軍が賛同する。
③クラスの決定事項になる。
俺たち3軍は残念ながらいない。俺が「タコ焼き屋をやりたい」と言い出したって、フローに含まれていないから協議事項にすらならない。1軍の「喫茶店をやりたい」という意見に2軍が賛成し、それがクラスの決定になる。他にも修学旅行の班決め、球技大会のチーム割り振り、掃除当番。俺たち3軍と「みんな」のあいだにはいつも見えない『壁』があった。
部署間の見えない『壁』。これってスクールカーストと一緒じゃない?営業が1軍、制作部が2軍、システム部が3軍だ。会社の「みんな」に含まれるのは1軍と2軍のみ。システム部がどれだけ声を上げたところで学校の文化祭よろしく意味がない。そんな事実に気づいてしまった。
なぁんだ。会議の塩対応はそういうことか。
結局はカースト。習得期間やその人がどれだけ仕事できるかは関係ない。
その組織や環境に根付いてるカーストが仕事の価値を決定しているんだ。
***
餃子の店で熱弁していたエンジニアの彼は、習得期間が長いエンジニアという職に誇りを持ち、価値があるものと信じている。だけど、そのうち不思議に思うだろう。
「俺の方が正しいはずなのに何で皆は話を聞いてくれないんだろう」
「何で俺よりも他の部署が評価されているんだろう」
それは「習得期間の長さによって仕事の価値って決まる」という彼自身の価値観を否定している。
その行きつく果ては「何を言っても無駄」と考え、仕事への情熱や職への誇りなどを捨て、何も考えず言われた作業を淡々とこなすだけの暗い未来が待っている。
実際に異動先のシステム部にはそんなエンジニアが何人かいた。不満は決して顔に出さず、自身のやれる範囲で作業をする。そこに感情も無ければ向上心もやる気も無い。要求が本人のキャパを超えれば、声を上げることもせず静かに辞めていく。
もうね、やめよう。会社のカースト。社員の定着率の悪い部署ない?なぜか評価が低い部署ない?その部署で働く人たちって楽しそうに見える?見えないんだったらその組織はおかしいから。変えていこう。1軍や2軍の部署が進んで声をあげてさ。世間の目を気にした働き方改革も別に否定しないけど、その前に組織の構造を見直さないと結局不幸な人は不幸なままだろ。
***
静寂。
帰り道にそんな話を知人に向かって熱弁していた。たぶんキメ顔で語っていたのだろう。彼女は少し時間をおいた後に「そう……だね」なんて曖昧にあいづちを打つ。そんな彼女の苦笑いを見てフラッシュバックする。この光景……さっきの店で見たな……。気づかないうちに俺もだいぶ酒が回っていたらしい。いつのまにか豪速球を投げていたようだ。
『いるよねぇ、酔っぱらうと自分の考えを湯水のごとく垂れ流す人』
お分かりいただけただろうか。俺のことだ。
あぁ、こっちのデートも失敗だろうな。
人と群れるのってホントに難しい。
学生時代に戻れるなら1軍に入って異性との接し方を学びなおしたいな。
心の中でそう思いながら帰宅した。