隙間を傍観すること

ねぇ

なんか最近息苦しくない?

酸素濃度の話?

いや、そういう話じゃない。

山頂と平地だったら酸素濃度ってどっちが濃いと思う?

いや、そういう話をしたいんじゃなくて・・・

あと山頂に決まってるだろ。

残念。空気中の酸素の割合は平地も山頂も別に変わらない。

割合は変わらないまま空気自体が薄くなってるだけ。

ええええ。

「どっちが」って聞いておいてそれはズルくない?

で、何の話だっけ?

あぁ、なんか上手く言語化できないんだけど。

日常のあらゆる場面に店頭販売員がいるような気分?

嫌な気分だな。

うるさそう。

嫌な気分というか。

何かしら商品を買うときに、自分の意思で買ってるってより、買わされてる感があって気持ち悪い。

消費者はマーケティングの奴隷だもんな。

関連、オススメ、ターゲティング広告で永遠に連鎖から抜け出せない。

でも、それで自分に合った商品を買えるんだから良いんじゃないか?

なんか買う意味とか理由ばっかりが商品の中に詰まってて、買った後には中身が無くなってるように感じる。

その空っぽを埋めるために、また意味とか理由のある商品を買って、中身が無くなっての繰り返し?

なるほど。

その繰り返しが息苦しいと。

どうして意味とか理由を求めちゃうんだろうね。

簡単だ。

意味があった方が安心する。

いや、だから何で意味があった方が安心するのさ?

隙     間 っ  て   好 きか?

え、なんで急に文字と文字の間にバラバラなスペース入ったの?

気持ちわるっ。

中途半端な隙間を見ると安心できないのが人間。

そういう隙間を見ると埋めたくなるし、埋めると安心する。

隙間を埋められるのが意味ってこと?

物事と物事の間に中途半端に空いてる隙間。

それを埋めるのが商品。

ないし商品に付属されている意味とか理由だ。

その隙間を埋めるために商品を買うってことか。

でもその理屈でいえば隙間はどんどん埋まっていくし、いつかは終わりが来るのかな?

来ない。

え。

時代の発展と共にあらゆるコトとモノに囲まれ続ける人生になった。

そうなると、自分の一挙手一投足にまで意味を求めてしまう。

つまり、その隙間も際限なく存在する。

ええ。

それに意味にも賞味期限が存在する。

賞味期限が切れれば、意味が消失して隙間が生まれる。

えええ。

賞味期限が切れる前に新しい意味を見出すか、意味自体を料理してアップデートしなければならない。

だから意味を求める行為は無限に終わらない。

そんなの無間地獄じゃん。

どうすれば良いのさ。

意味を追い求めなければいい。

そんなことできるの?

難しいだろうな。

あらゆる商品が「おい、ここの隙間空いてるぞ。気持ち悪くないか?」って問いかけてくる世界だ。

それが、「日常のあらゆる場面に店頭販売員がいるような気分」に繋がるってわけね。

人間は毎日毎日搾り出すように自分の行動、世界の挙動に意味を見出て苦しみながら安心している。

でも、すぐに他の隙間を見つけて不安になって埋めて安心して、また隙間を見つけての繰り返し。

そりゃ息苦しいわけだな。

束の間の安心を求めて隙間を埋め続ける人生と、隙間を諦めて意味を追い求めない人生どっちが幸福だと思う?

うーん、わからん。

別に幸福の度合いは人それぞれだ。

測れることじゃないからどっちが正解とかはない。

ええええ。またか。

だから「どっちが」って聞いておいてそれはズルくない?

物事と物事の隙間を眺める。

そこを意味で埋めないで、無意味を感じる。

たまにはそういう時間があっても良いんじゃないか。

それもそうだな。