会議がスムーズに進行させる最適解は全員感情を無くしたロボットになること

ダラダラと長い打ち合わせ。
意味のない雑談。
脱線して行方不明になる本題。
あらかじめ設定されていない会議の目的。

こんなことでお悩みではないだろうか。私はある。本当に嫌だし、うんざりだ。方向性の定まらない会議と会議中の関係のない話が一番嫌いだ。自分で設定できるものに関しては如何様にでも進行できるが、人に呼ばれた―しかも自身よりも上の役職―の時が一番やっかいだ。刻一刻と過ぎる時間。人は1秒1秒老けていくのに、なぜこんな無意味で無意義な時間を過ごさなければいけないのか。同じ無駄であればこのサイトの記事を読むほうがいい。このサイトもインターネットに漂うゴミみたいなものだから十二分に無意味だが、同じ無意味さであればサイトを閲覧する方を選びたい。

そんな悩みを抱えていたが、最近この最適解が見つかったのでご紹介しよう。

全員感情を無くしたロボットになる

もうこれ以上の最適解はない。アリストテレスはエトス(倫理)、パトス(情熱)、ロゴス(論理)が人を動かすと言っていた。たしかにそうだ。誰かが深い同情と情熱をもって論理的なことを言えばとりあえず人は納得するし動かされるものである。

打ち合わせの最中に「ここでおしっこを漏らしたら大変なのでトイレに行かせてください!」と鬼気迫る表情で言われれば、どれだけ大事な場面であろうとも「あ、どうぞ」となる。つまりそういうことだ。

ここでやっかないなのが、打ち合わせに必要なのはロゴス(論理)のみで他の2つは会議を長引かせる要素にしかならないことだ。

それはとある製品の販促会議だった。議題としては「今後の販促にあたっての流れと役割に関して」だった。
あらかじめ今後のスケジュールに各担当のタスクが割り当てられたものが配布されており、事前にチェックしておいて各自抜けているタスクを指摘したり、確認しておきたい点を共有するものだ。このタイプの会議は目的も明確だし、事前に前提となる知識も共有済みだ。これであれば15分もかからずに終わるだろう。そう安堵していた。

会議の出だしは順調だった。各自が気付いた点を共有し、タスクや役割がより明確に洗練されていく。各自それぞれの役割でつまずくことがないようにリスクやこれまでのノウハウを共有していた。

「心配なことがあるんですけど」

ある社員がそう言った。彼は販促する製品の製造担当だ。彼もまた同じようにリスクを共有してくれるのだろうか。

「製造が間に合うかどうか不安なんですけど」

会議室がざわつく。その会議のチェアマンが尋ねる。

「製造のスケジュールに関しては予定通りだって話でしたけど、何か問題が?」

「いえ、そういうわけではないんですが…」

製造の彼は歯切れ悪く言った。

「じゃあ何が不安なんだ」

他の参加者が尋ねる。

「…もし何か問題が起きたら販促できないじゃないですか」

恐る恐る彼は答えた。

「それじゃあどんな問題が想定できます?」

「急に見落としていた欠陥が見つかるとか、あとは想定できない問題があると思うと不安なので発言しました」

「こんな発売前の段階で大きな問題が起きたとしたら、管理体制が悪いんじゃないの?製造の部署はまだそういうところがちゃんとできてないんだから」

また別の担当者が意見を言った。

「人間だれしも見落としなどはあるものです。管理体制はまだまだ整っているとは言えませんが」

「管理体制を整えるのがお前の仕事だろうが」

「そもそもこの製品だって2か月くらい発売が遅れたんだし。これで問題あって更に遅れるなんてありえないよ」

そこからカオスになった。秩序を保っていたチェアマンも最早見る影もない。あーでもないこーでもない、そっちの部署はどう、前はこうだった、そもそもこうすべきなんじゃないのか、etc…。そんな意見が飛び交っていた。「今後の販促にあたっての流れと役割に関して」という議題はいつの間にか「製造部署の管理体制の問題指摘という名の公開裁判」となった。

結局会議は1時間ほど長引き、議題に沿っていたのははじめの15分程度で後は製造部署に対して不満ぶちまけタイムであり、製造部署の言い訳ぶちまけタイムだ。止まらない感情の洪水。「こっちはこれだけ頑張ってるのに」「こっちだって頑張ってる」同情を誘うような発言や、「もっとみんなで協力し合っていこう」「この製品に対して本気で向かい合ってる」とか情熱に満ちた意見が飛び交う。

結局ただただ製造部署の彼が可哀そうな感じで終わった。
そして後日彼を中心に「製造部署の管理体制」に関する会議が開催されることになった。

ここで製造部署が「製造が間に合わないかもしれない」というリスクを提示するのが問題というわけではない。彼が「不安」という感情を持ち出してしまったのが問題だ。

一つの感情は他の人に伝播して新しい感情を生む。新しく生まれた感情が言葉になり他の人に伝播する。はい、ループ確定。確変入った。スロットやパチンコだったら嬉しい。永遠に終わるなと思う。スロットやパチンコはそう思っても悲しいことに終わりが来てしまう。だが、会議中の感情の吐露は逆だ。早く終われと思っても永遠かと思うくらい続いていく。

どうすればいいか。ここで冒頭の結論だ。

全員感情を無くしたロボットになる

もう全員ロボットになってしまえ。
血の通わない会議になれ。
全て論理的な発言のみで構成されてしまえ。

人間だれしも感情がある。不安を感じる人もいれば怒りを感じる人もいる。これはしょうがない。逆に感情のない人生なんてつまらないものだ。それくらい人間にとって感情は欠かせないものだろう。

これがもし商談やプレゼンだったならばエトス(倫理)、パトス(情熱)、ロゴス(論理)を駆使したトークを組み立てて、相手を動かそうとするのは当然だしそうすべきだ。

だが会議において感情は不要だ。同情なんて誘わなくていいし、情熱なんか伝えなくていい。
議題に沿ってつつがなく進行して最終的に実りがあればいい。

そうするためには全員感情を無くすしかないのだ。

おいおい頭おかしいのか?
全員感情を無くしたロボットになれる訳ないだろう。
そう思う?

それなら試しに自分だけでも感情を無くしたロボットになってみてほしい。
もうその会議に対してうんざりとか嫌気がさすとかって感情なくなるから。

コチラカラハイジョウデス。