「ほうれん草」について全力で書く【1万字】

jill111 / Pixabay

ほうれん草に親近感を覚える。ほうれん草とはスーバーで見かけるあのほうれん草だ。なにかの隠喩とか誰かのあだ名ではない。食べたことがない人なんかいないとは百パーセント言いきれないが、料理の中に入っているのを見たことは確実にあるだろう。

今日はそんなほうれん草について全力で書いてみようと思う。一点留意しておいてもらいたいのは、ここでほうれん草の歴史だとか収穫量の増減とか美容について語るつもりはない。そういったデータはWikipedia先生が詳しいので私の出る幕はこれっぽっちも存在しない。あくまで『ほうれん草と私』が主軸となる。

こちらを読んでくれる人に「わかるわぁ」と共感してもらえればほうれん草冥利に尽きるというものだ。やはり人間は常に共感して生きていかなければならないため、「わたし、ほうれん草に近しいものを感じるんだよね」といっても誰にもわかってもらえない孤独な人に「あなたは一人ではない」ということを伝えるべきだと感じ筆をとった次第だ。

また、「わたし、もしかしたらほうれん草っぽいかも」とこれまでほうれん草のことを全然意識してこなかった人物に新たな気付きを与え、パラダイムシフトさせられれば良いとも思っている。我ながら欲張りな考えだ。

そもそもこの情報には何のメリットがあるのだろうと疑問に持つ人がいてもおかしくない。だが、例えば就職活動や転職活動で面接の際に「あなたとほうれん草の共通点は何でしょう?」と聞かれるかもしれない。あるいは大学入試の小論文で「ほうれん草に関して自由記述(500字)」みたいな問題が出るかもしれない。運転免許の筆記試験で「ほうれん草と人間は確実に共通している」に対して○か×で答えさせる問題があるかもしれない。このように、いたるところであなたとほうれん草に関する知識が必要になる可能性があるのだ。そんなときは私の意見を参考にしたり引用するといいだろう。ただし、それによって内定をとれなかったとか合格できなかったという意見は一切受け付けない。自己責任でお願いしたい。

ただし、共通点だけつらつら並べると誤解が生じる危険性がある。私がほうれん草そのものではないかと。安心してほしい。私はほうれん草ではない。ごく普通の一般的な人間である。そのことを明確にするためにもほうれん草との共通点と相違点の二つの軸でまとめていこう。

ほうれん草と私の共通点

熱が入ると小さくなる

ほうれん草の特徴としてまず挙げるべき点として、茹で上がることで小さくなることは欠かせないであろう。ゆでる前にどれだけ広々と葉をはたかせていたとしても、沸騰したお湯の中に入れてしまえば途端にシナシナになり、小さくまとまってしまう。

では私はどうだろう。例えば慣用句に「頭から湯気を立てる」というものがある。こちらは「かんかんになって怒る」意味を持つ。一般的に考えて人は怒るとその感情を体の外へ吐き出そうとする。それが怒鳴るや暴力をふるうなどの直接的な吐き出し方だったり、運動や食事などで間接的に発散する吐き出し方だったりする。私の場合は後者の間接的に発散する手法を取ることが多いが、怒りの感情を運動や食事に置き換えるわけではない。憐憫や諦めの感情に置き換えるのだ。なにか相手の発言が気にくわなかった際に「ふざけるな」という思いを「この人と通じあえないのは仕方がないこと」「こんな風に考えてしまうなんて可愛そう」など自分の中で思考が転換され、結果的に押し黙ってしまうのだ。この状態を相手から見ると「こっちが強きになって言ったら黙りやがった。ちょろいなこいつ」と小さく見られるだろう。つまり、私が頭から湯気をたてた場合、様々な過程を経て結果的に小さく見られてしまうのだ。

また、違う慣用句も紹介したい。「話に熱が入る」という表現がある。主に話が盛り上がっているときに使われる。例えば相手と共通する趣味で話に熱が入ったとしよう。具体性をもたせるためにここではビートルズの話題とする。私はビートルズの音楽が好きだが、メンバーの人となりや歴史などについては勉強不足だ。だがコアなビートルズファンとなると、音楽ではなくその辺りの知識の多さで好きな度合い測ることが多い。好きなアルバムは何か聞かれ「マジカルミステリーツアー」と答えると、相手はマジカルミステリーツアーの製作秘話やハローグッバイの歌詞の秘密、○○年に○○でライブをやったときのアレンジなど、ありとあらゆる派生した知識を披露する。しかし、私はそのアルバムの曲順やコード進行や歌詞などの基本的な情報しか持ち合わせていない。気づけば相手が雄弁に語り、私が萎縮する構図が出来上がるのだ。つまり話に熱が入ると小さくなるのだ。

ほうれん草に戻してみよう。ほうれん草にしても熱を入れた場合、細胞が潰れるなどの様々な過程を経て小さくなる。きっと学生時代にその辺のメカニズムを学んだ覚えがあるが、詳しい仕組みはここでは割愛させていただこう。重要なのは共通点だ。ほうれん草に熱が入ると小さくなる。私も熱が入ると小さくなる。これを共通点とせず何を共通点と言えようか。

灰汁が強く加工する必要がある

ほうれん草は基本的に生で食べることはない。生食用は別だが、そのものが持っている灰汁が強く、生のままでは食卓に並ぶことはない。大抵の場合下茹でが必要となる。下茹でして初めて、おひたしだったり和え物だったり一般家庭に並ぶような料理の仲間入りをすることができる。

私も元来灰汁の強い人間だと自負している。簡単にいってしまえばひねくれものだ。例えばいつまでたってもエクセルの使い方がわからない社員がいたとして、「立川さーん、これわかんなくなっちゃった。ちょっとやってもらえる?」とか言われようものなら、「はぁ?それ教えるの何回目だよ。一回で覚えられないようならメモするなり動画とっておくなりしておけ。そもそも聞く前に自分で調べようとしたのかよ。調べもしないで言えば誰かにやってもらえる精神でよくここまで生きてこれたな。それで生きてこれたったってことは相当回りの人間におんぶにだっこで生きてきたんだろ。回りの人に恵まれてんな。羨ましいわ」とか言ってしまいたくなる心の狭い人間だ。これをこのまま言ってしまうと、まず間違いなくドン引きされるし、私と仕事をするのが嫌になるだろう。それが積み重なるとどうだろう。属しているコミュニティで孤立し、そこから抜けざるを得ない状況となるのは明白だ。社会的な動物である私は孤立することはなるべく避けたい。ではどうするか。本音を加工して発言するのだ。先ほどの例だと「いいですよ。今回だけやってあげますけど、ちゃんと覚えてくださいね」と発言する。嫌味や相手が不快になる言動は全て取り去ってしまうのだ。要するに発言の前に灰汁抜きを行っている。

ほうれん草は食卓に並ぶ前に、下茹でして灰汁を取り除くことで料理の具材の一員となることができる。一方で私は発言する前に灰汁を取り除くことで、社会の一員として溶け込むことができる。わかる。わかるぞほうれん草。お前の気持ちが良くわかる。これからも灰汁を抜いて頑張っていこうな。

油ものと相性が良い

ほうれん草の使われている料理と聞いて何を思い浮かべるだろうか。あっさりしたもので言えば、おひたしだろうか。あっさりした料理でももちろん美味しいのだが、ほうれん草が輝ける料理はそこに留まらないと思っている。炒め物だ。油と交わることで更なる満足感を得られるのだ。例えばほうれん草とベーコンをゴマ油で炒めるとどうだろう。想像しただけでお腹が空いてこないだろうか。韓国料理屋さんに行ってサムギョプサルだけを食べるよりも、一緒にほうれん草のナムルを食べた方がおいしく感じないだろうか。極論だが、ほうれん草をバターで炒めただけでも酒の肴としては120点満点ではないだろうか。上げれば切りがないが、ほうれん草と油における美味しさの化学反応が少しでも伝わってほしい。

更に驚くべきは油と一緒にほうれん草を接種すると、油を使わないで調理するよりも、栄養の吸収率が高いのだ。詳しいことは

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こちらに書いてある通りなので割愛するが、ほうれん草と油はセットと考えても良いほど相性が良いことがわかる。

さて、唐突に私の話をしよう。私はデブだ。太っていると言い換えても良い。もし100人に私が太っているか太っていないかを尋ねたら、100人が太っていると答えるだろう。デブ100%だ。なぜデブなのかを考えたところ、私と油ものの相性が良いことが一番の理由だろう。

みなさんファミチキはお好きだろうか。Lチキはどうだろう。それともナナチキ派だろうか。ともかくコンビニには豊富な種類のホットスナックが置いてある。私にとって誘惑の巣窟だ。何気なく入ったコンビニで雑誌だけ買っていこうとレジに並ぶと、確実にホットスナックの棚が見える。ファミチキ、ファミコロ、唐揚げ棒、スパイシーチキン、フライドポテト、棚の中の全ての食べ物が私を誘惑してくる。「EAT ME!」と。そんなアリスの世界に迷いこんだデブは抗う術もなく、店員さんに「ファミチキください」と言ってしまうのだ。これまで誘惑に勝てた試しがない。そんなことを繰り返していくうちにどんどん私の体は横に広がっていった。誘惑に勝てないのは自分の意思の弱さといってしまえばそれまでかもしれない。だが油ものも私のことを求めているとは考えられないだろうか。私と油ものはもはや別つことはできない何かがあり、双方が惹かれあって出会うべくして出会っているのだと。みなさんもうお分かりだろう。この関係は似ているのだ。ほうれん草と油ものの関係に。

見分けのつかない野菜が存在する

ここで簡単なクイズをしよう。三つの画像を用意した。この中でほうれん草がいくつ存在するか当ててみてほしい。答えはこの章末に書くとして本題へ移ろう。この問題からもわかる通り、ほうれん草に似た野菜が複数存在する。小松菜やルッコラ、チンゲン菜などが例として上げられるだろう。それらを全体像ではなく、同じ形に切ってしまえば食べるまで違いが分からなくなってしまうだろう。だが言うまでもなくそれぞれ全く違う野菜だ。味や成分、使われる料理など総じて違っている。見た目が似ているだけで中身は全く別物なのだ。料理を作る側はほうれん草ならほうれん草、チンゲン菜ならチンゲン菜をきちんと見分けて、料理を作る必要がある。しかし、料理を食べる側からしてみればどうだろう。緑色の野菜が使われたソテーを見て「お、これはほうれん草だな」「いや、小松菜のソテーか」などいちいち考えてはいない。野菜のソテーならソテーとして食べ、おいしければそれでいいと思ってしまうのではないか。違いを確認するために一度食べるのをやめて思考時間を費やすよりは、次の料理に箸を進める方が本能的には自然だ。つまり食べる側にとっては見分けがつかなかろうが、差し支えがないということになる。

一方で人類の「その他大勢代表」である立川豊である。街中で太っていてユニクロに売ってそうな上着と、臭そうなデニムを履いている人を見たことがあるだろうか。これが私の外見的特徴だ。こんな特徴の人間は渋谷のスクランブル交差点に行けば、間違いなくすれ違うだろう。いや、渋谷はそういう人はいないのか。渋谷に行かないので、勝手なイメージとなってしまったが、私のような外見的特徴を持つ人物は山ほどいるだろう。しかし、それらの外見的特徴を持つ人が等しく私の中身と同じかと言えばそうではない。私よりも性格が良い人。友達の多い人。博識な人。みんな違う個性を持ち合わせているはずだ。ただ知人でもなければ、すれ違った際にそれらの区別が付くわけもないのだ。

また、私は会社の中の歯車として日々働いているわけだが、私のやっている業務は別に私がやらなくても問題がない。上司や経営層にとって、立川豊という一個人として認識する必要性はなく、私であろうとそうでなかろうと「業務をこなしてくれる人」であれば差し支えがない。ほうれん草だろうが、小松菜だろうが料理として出されれば食べるのと、認識的には変わらない。こういった点もほうれん草と近しいものを感じてしまう要因といえるだろう。

ちなみに冒頭の答えは上から順に小松菜、小松菜、小松菜だ。

根っこが小さい

ほうれん草の根っこを見たことがあるだろうか。産地直送のスーパーなどに行けば、根っこ付きのほうれん草を見かけることがあるかもしれない。ほうれん草の根っこは大きな茎や葉っぱと比較するととても小さい。個体差もあるだろうが、だいたい地上に出ている部分と根っこの部分では3:1くらいの割合に感じる。根菜と呼ばれる野菜類と比べれば一目瞭然である。こちらの根っこは実は一番栄養が含まれているらしく食べる人もいるらしいが、基本的には下ごしらえの際に切り捨ててしまうことが多い。ほうれん草における根っこの扱いはその程度のものだ。

私は自身を薄っぺらい人間だと自負している。何か自慢できる趣味や特技も無く、興味を持ったことに手を出しては極めることないまま中途半端に終わってしまう。また、人間関係においてもそうだ。一応学校には小学校から大学まで行ったが、残念ながらそれぞれを卒業したタイミングで人間関係がリセットされてしまう。高校時代に仲の良い人がいたとしても、大学に入れば特に高校時代の友人と連絡を取り合うことも無く、社会人になれば大学の頃つるんでいた連中とは音信不通となってしまった。社会人になってからは、仕事が忙しいという言い訳にかまけて友人を作ったりすることもなく、会社の同僚らと薄っぺらい人間関係を築くにとどまってしまっている。人は人とのつながり無しでは生きていけない。この繋がりを小さい頃から大事にして、少しずつ広げていった人たちは根っこが深い。様々なコミュニティに根を伸ばし、人から得られるインプットの量も比例して多くなるため、経験値も高いだろう。今日もどこかで交流を深め、一期一会な経験をしているに違いない。一方でどのコミュニティにも根を広げられず、浅いままの私は誰とも交流を持たず、ほうれん草と私に関する文章を書き連ねるのみである。正直自分でもなぜこんなことをしているのかはわからない。ともあれ前者と後者の違いは一目瞭然だ。個人的な話ばかりになってしまったが、要するに根が浅いところに勝手な親近感を持ち、なんとか自己を肯定しようと必死なのである。

寒いと甘くなる

私は極度の寒がりだ。10月も後半になったが、ついに冬の片鱗が見え隠れしてきた。冬になると大変な問題が発生する。寒くて起きれないのだ。目を覚ますと部屋が極寒の地へ変貌している。昨日の夜寝るときは風呂で温まった体を布団の中で更に温め、ぬくぬくと良い心地で眠りに入ったはずだ。それが朝目が覚めると一転している。体は芯まで冷えており、ふとんのぬくもりだけが私の生命線となっているのだ。ここで布団の外に出るということは、バンジージャンプの紐を外すような行為だ。あまりにも無謀であり、早計。布団の中にある少しの温もりを守り続けるべきと身体が訴えかけるのである。だがしかし、世の中は無常でどれだけ凍えようが通勤の時間はやってきてしまう。布団から出て支度をしなければならない。頭の中で天使と悪魔がささやく。「まだ、布団にもぐっていようぜ。寒い時は動かなくていいんだ」と悪魔が言うと、「起きなさい。立川。今日は遅れてはいけない打ち合わせがあるはずよ」と天使が言う。普通ならここで葛藤が起きるはずだ。真面目な人間であれば天使が勝ち起き上がることさえするだろう。私の場合は、100%悪魔側につくので葛藤すら起きない。天使はすぐさまノックダウンされる。再度眠りについてしまうのだ。この習性は冬が深まれば深まるほど顕著に表れる。私も冬眠のある動物に生まれたかったとさえ思うのだ。

この話がほうれん草とどんな繋がりがあるかを説明していこう。ほうれん草は冬においしくなる野菜だ。

ホウレンソウがおいしくなる時期は冬である[注釈 1]。収穫前に冷温にさらすこともしばしば行われ、これらの処理は「寒締め(かんじめ)」と呼ばれている。

上記はwikipediaから引用したものである。この寒締めを行うことによってどうなるかがこの後に続く。

寒締めを行ったホウレンソウは、低温ストレスにより糖度の上昇、ビタミンC、ビタミンE、βカロチンの濃度の上昇が起こる。

端的に言ってしまえば寒締めを行うと甘くなるのだ。このこととなぜ前述した冬の朝起きれない話につながるのか。答えは簡単だ。

私の場合は、100%悪魔側につくので葛藤すら起きない。天使はすぐさまノックダウンされる。再度眠りについてしまうのだ。

ご覧の通り、冬になると自分に対して極限まで甘くなっている。ただほうれん草の場合は甘くなることによって美味しく食べられるというメリットがあるが、私の場合甘くなると会社や周りの人間に迷惑がかかる点では少し異なっているが、本質は一緒だと思いたい。

ほうれん草と私の相違点

これまで6つの共通点を書いてきたが、ほうれん草に共感を覚える方もいるのではないのだろうか。ただし、共通点だけ切り取って私とほうれん草は近いと叫んでも、それは狂言にしかならない。例えば、私とキムタクの共通点を「人間」「男性」「右利き」と列挙して、「ほら、私とキムタクって似てるでしょ」と言っている人がいたら確実にヤバイ。私が言いたいこととしては、共通点が多くあって近しいものを感じるが、相違点も確実にあるよ、ということだ。続いて3つほど確実な相違点を挙げていこう。

主成分

ほうれん草の主成分(wikipediaより)

100 gあたりの栄養価
エネルギー 84 kJ (20 kcal)
炭水化物
3.1 g
食物繊維 2.8 g
脂肪
0.4 g
飽和脂肪酸 0.04 g
一価不飽和 0.02 g
多価不飽和 0.17 g
タンパク質
2.2 g
ビタミン
ビタミンA相当量
β-カロテン
(44%) 350 μg
(39%)4200 μg
チアミン (B1) (10%) 0.11 mg
リボフラビン (B2) (17%) 0.20 mg
ナイアシン (B3) (4%) 0.6 mg
パントテン酸 (B5) (4%) 0.20 mg
ビタミンB6 (11%) 0.14 mg
葉酸 (B9) (53%) 210 μg
ビタミンC (42%) 35 mg
ビタミンE (14%) 2.1 mg
ビタミンK (257%) 270 μg
ミネラル
ナトリウム (1%) 16 mg
カリウム (15%) 690 mg
カルシウム (5%) 49 mg
マグネシウム (19%) 69 mg
リン (7%) 47 mg
鉄分 (15%) 2.0 mg
亜鉛 (7%) 0.7 mg
銅 (6%) 0.11 mg
セレン (4%) 3 μg
他の成分
水分 92.4 g
水溶性食物繊維 0.7 g
不溶性食物繊維 2.1 g
ビオチン(B7) 2.9 µg
硝酸イオン 0.2 g

人間の主成分(wikipediaより)

人体の組成
70kgの体重のヒト
[6]
成分 重量
酸素 45.5kg
炭素 12.6kg
水素 7kg
窒素 2.1kg
カルシウム 1.05kg
リン 0.7kg
イオウ 175g
カリウム 140g
ナトリウム 105g
塩素 105g
マグネシウム 35g
鉄 6g
フッ素 3g
ケイ素 2g
亜鉛 2g
ストロンチウム 320mg
ルビジウム 320mg
鉛 120mg
マンガン 100mg
銅 80mg
アルミニウム 60mg
カドミウム 50mg
スズ 20mg
バリウム 17mg
水銀 13mg
セレン 12mg
ヨウ素 11mg
モリブデン 10mg
ニッケル 10mg
ホウ素 10mg
クロム 2mg
ヒ素 2mg
コバルト 1.5mg
バナジウム 0.2mg

ほうれん草は栄養価に対して、人間は組成のため比較対象になり得ないかもしれない。生物のレポートか何かで、こんな比較を行ってしまえば赤点は免れられないだろう。だがここは深夜の暇をつぶすことだけが目的のサイトだ。そういった細かいことには目を瞑って先へ進もう。2つを比較した時に共通している成分はナトリウム、カリウム、カルシウム、マグネシウム、リン、鉄(分)、亜鉛、銅、セレンだ。それ以外は共通していない。当たり前といえば当たり前なのだが。半数以上が異なっているため、こちらは相違点として挙げておこう。

育成環境

ほうれん草は畑やビニールハウスで育成が可能だ。もっと広義でとらえれば、中国、アメリカ、日本、トルコなどの様々な国で育てられている。日本においても全国津々浦々で育てられており、ほうれん草はどんな環境にも適応して育つことが可能だ。

一方で私が育つ環境は場所を選ぶ。人がたくさんいるパーティ会場はダメだ。6人以上が集まる飲み会などもダメだ。極度のストレスを感じてしまうからだ。また、日本語以外が母国語の国も適していない。日本語以外話せないからだ。あと日本食が食べれない環境も無理だ。日本食がおいしいからだ。共通点のところで軽く書いたが、寒い環境もダメだ。つまらない作業を永遠と行う仕事も無理だ。飽きっぽいからだ。適度に引きこもれて、適度に楽しい業務があり、勉強できる時間を確保できる環境ではないと私は育たない。お分かりの通り、様々な環境で育つほうれん草と対照的に私の育成環境はかなり限定的である。

用途

ほうれん草は主に食用として用いられる。調べてみると食用以外の用途では緑の色素を取り出して色付けに用いられることもあるらしい。食用以外にも用途があったことを初めて知り驚いた。食べて良し塗って良しと多彩な才能がある。一方で私の用途を考えてみよう。食用ではないし、色素を抽出して色を塗ることもできない。会社では困ったことや面倒臭いことを押し付けられるポジションだ。同僚や上司は様々な用途で私を用いるだろう。あぁそうか。私の用途は「雑用」か。

総括

ほうれん草と私に関してつらつらと、長々と書いた。私がほうれん草に対して感じた親近感をここまで読んでくれた人に少しでも伝わればいい。これを機にあなたもあなたなりの「ほうれん草と私」を考えてみてほしい。ほうれん草のソテーを口に運ぶ瞬間や、道端の畑でほうれん草が育っているのを目にした瞬間など、些細なタイミングでいい。もしかしたら私と違った考えに至るかもしれない。他の共通点あるいは相違点が見つかるかもしれない。それでいいと思う。ほうれん草と我々の未来は無限大に広がっているのだ。私の考えを押し付ける気は毛頭ないし、ほうれん草も人類に対して何かを押し付けたりはしない。様々なほうれん草との付き合い方があるし、共存の仕方があるだろう。

また一点心にとめておいてほしいのが、私たちがほうれん草と接するにはたくさんの人々が関係してくるということだ。農家の方、農協の方、それを運搬する方、スーパーに品出しする方、レジをする方、料理をする方、それを食べる方、あげればキリがない。あなたが普段何気なく食べているほうれん草は、そんな多くの人の手を経て巡り巡って目の前にあるのだ。人と人との出会いが一期一会であるように、ほうれん草とあなたの出会いも一期一会なのだ。つまりは運命の出会いだ。どうせ食べるのであれば、嫌ってイヤイヤ食べるのではなく、少しでも親密さを感じながら食べたほうがいいのではないか。

考えてみればそれはほうれん草だけの話ではないのかもしれない。私に関してもそうだ。熱が入ると委縮してしまおうと、灰汁が強かろうと、油ものが大好きだろうと、他の人と見分けがつかなかろうと、根っこが小さかろうと、自分に甘かろうと、主成分が違ったって、環境に適応できなくって、雑用として扱われたって、いろんな経緯や人間関係を経てそんな人間が出来上がっている。そんな自分をイヤイヤと嫌うのではなく、少しでも親密さを感じて自身と仲良くした方が良いのではないか。自分のことをもう少し好きになってもいいのではないか。そんなことに気づかせてくれたほうれん草に感謝して、ほうれん草と私に関する文章を締めたい。以上。