深夜潜思ーーあの頃イメージした「オトナ」に会ったことあるか

TeroVesalainen / Pixabay

ここ何年かでぼやーっと考えてることがある。いわゆる「大人」という存在って都市伝説的なものなんじゃないかって。子どもの頃にイメージしてた大人と実際に「大人」と言われるような年齢になった後で周りの人たちが全然「大人」に見えない。どう見えないのか。俺が子どもの頃ふわふわぁっとイメージしてた大人を言語化すると以下の2つに集約される。

・感情よりも合理性を重視する
・理想よりも現実を重視する

合理主義かつ現実主義。「大人」ってそういう存在なんじゃないかなぁって漠然と思ってた。子どもの頃ってどうしても感情が先行しちゃって筋道のたってない行動とっちゃうじゃん?野球の放送が延長されて当時好きだったアニメの放送が次週に持ち越された時に「じゃあもう野球なんて見ない!」って泣いた記憶がある。ぜんぜん意味わからんよね。

あと小学校の授業とかで将来の夢書く時間あったじゃん?みんな「パイロット」とか「俳優」とか何となくカッコいいイメージのある職業書いてたけど、周りにいる大人たちは別にそういうカッコいい職業じゃなく普通に「会社員」か「公務員」だったよね。そんな経験を通して大人ってのは理不尽なことがあっても感情じゃなく理屈で処理して、理想を高く掲げず現実を生きる。そういうのが「大人の事情」なんだろって思ってた。ちなみに俺は「良い学校にいって良い会社に入って良い生活をする」って書いてた。そんな子ども嫌だ。

実際大学を卒業して社会人になってみるとどうたろう。感情のままに怒りをぶつけ合う上司。同僚の建設的ではない傷のなめあい。意識の低い部下。理想ばっかり先行したスケジュール。お得意先のご機嫌伺い。ネット上のマウント合戦。無関係者の罵詈雑言。合理的じゃない人々や物事、現実的ではない考えが充満していた。

大人の事情なんてのは蓋を開けてみれば上の人が気に入らないとか、他部署と上手くいってないとか人間関係だったり感情の話だ。感情のせいで合理的な判断ができないなら「もう野球なんて見ない!」って駄々こねてた子どもと大差ないよな。

最近、起業して成功した人たちの創業ストーリーを読んでる。楽天の三木谷さんとか、ユニクロの柳井さんとか、ソフトバンクの孫さんとか。京セラの稲森さんとか。そういう人たちの話を読むと「大人」の概念を思い出す。彼らはやんちゃだった少年時代から各々のきっかけを経てちゃんと「大人」になっていた。そんで事業を始めて紆余曲折あって成功する。それぞれ時代を見据えて理想を現実に落とし込んで合理的な行動をとっていた。読めば読むほど自分が見ている景色と彼らが見ている景色が全くの別次元なんじゃないかと錯覚する。少なくとも周りにこんな人たちは見当たらない。Twitterで三木谷さんのアカウントを覗いてみたらリプライ欄には自分が良く知っている方の大人たちがたくさん騒いでいた。孫さんのアカウントも同じような無秩序が広がっていた。

そう考えると子どもから「大人」になれるのはほんの一部だけで、ほとんどの人が子どものまま大きくなっているだけな気がする。そんな子どもばっかり溢れる中で「大人」たちはこの景色をどう思っているんだろうか。保育園で子どもたちに手を焼く保育士のような気持ちなんだろうか。それとも目線の先には同じ「大人」しか映ってないんだろうか。

この先「大人」に会う機会があったら是非そんなことを聞いてみたいと思った。もう寝よ。おやすみなさい。

28歳。お魚のソーセージがあればお野菜も食べれるよ。

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