『皆』が少しずつ不幸になるより『誰』かに不幸を押し付けてでも『自ら』の幸せを選ぶ動物

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まぁそれが人間だよね。なんて朝のワイドショー見ながら思った。

今朝の話題はコンビニの24時間営業について。数字の取れそうなセンセーショナルな話題に『どうでもいい。自分には関係ない』って顔に書いてあるコメンテーターたちが好き勝手議論する。

ハンナ・アーレントの悪の陳腐さについての報告は有名だが、悪事に手を染めるのは精神的に人とは違うところがある所謂『サイコパス』だとか生まれつき極悪非道な考えを持っている人とかではない。エルサレムのアイヒマンのように、ただ職務を勤勉にこなす所謂『ふつうの人』が悪人になりえる。その人が組み込まれている社会のシステムの行きつく先が悪であろうと何だろうと、組み込まれた時点で役割を全うしようとする。

今の日本を見てどうだろう?

過労死だとか高い自殺率だとか相対的貧困だとかマイノリティに対する偏見だとか様々な問題を抱えている。

過労死をさせたその会社の社長と上司が極悪人なのか、自殺の原因を作った特定人物が極悪人なのか、相対的貧困を作った政治家が極悪人なのか、マイノリティに対して偏見的発言をしてしまった人が極悪人なのか。それぞれは裁かれて然るべきなのか。

もちろん中には裁かれて然るべき人物はいるだろう。ただ、アイヒマンのように組み込まれたシステムの中で役割を全うしているだけの人物もいる。俺もきっとそうだし、ほとんどの人が自覚がないだけで悪事の中の一部に組み込まれている。

仕事の量は変わらないのに働き方改革で労働する時間だけ減ったとしよう。株主のために売り上げを減らしたくない幹部は変わらぬノルマを営業に課し、成績を減らしたくない営業は変わらぬペースで契約を取り、納期に間に合わせたいディレクターは現場に無理難題を押し付け、間に合わない現場は時間外の強制労働を強いられる。

明確な悪はどこにいる?傍から見れば皆悪に見えるかもしれない。それぞれの視点で見れば各自の役割を全うしているだけだ。

もし将来的に24時間営業が『悪』と見なされれば、何十年後かの教科書に『人材不足による負担増大のため24時間営業店舗が廃止される』と載るかもしれない。それを読んだ学生が「何でオーナーの人が苦しんでいるのをわかっていてそんなことを今までやっていたの?利用する側も何で苦しんでる人のために利用するのを辞めなかったの?」なんて疑問に思う日がやってくるのかもしれない。それこそ自分たちが学生の時に「何でホロコーストなんて非人道的なことができたの?」と質問するのと同じような文脈で。

先生は何て答えるかね。

「昼間だけ営業しているより、24時間営業していた方が日中の売上が伸びるっていう数字を見て判断していたんだ。それに利用者も24時間やっていた方が便利だし。その店舗のオーナーがどれだけ負担で可哀そうだったかなんてテストに出ないよ」

未来の学生たちは昔の人は何て残酷で極悪な人だったんだと思うのではないか。ブラック企業が蔓延って、社員たちは数字のために酷使され、そこから生まれた製品やサービスを利用して、自分にとって便利か便利ではないかだけで判断して、『皆』が少しずつ不幸になるくらいなら、『誰か』を不幸にしてでも『自ら』の幸せを選ぶ世界。

もちろん自分もその世界に生きている一人だし当事者だ。自分が日頃利用しているインフラやサービスや製品に誰かの辛苦や血や涙が含まれていたとしても知る術はない。素知らぬ顔をして自分の便利さのためにそれらを利用する。もしそれらの悪事が露呈したとしたら今度は「そんなことは知らなかった」と手のひらを反してその悪事を批判する。そんなどうしようもない酷い人間。

こんな果てしなく厭世的なことを朝から考えてしまった。

こんなことを考えるくらいならどうでもいい、どうしようもない非生産的なことを綴っていたい。

このサイトはそんな現実逃避が形として現れたものなのかもしれない。

28歳。男性。太っているか太っていないかでいったらデブ。わかばたいむす副編集長。

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